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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)1514号 判決 1996年3月27日

原告

別紙原告目録(一)及び(二)記載のとおり

右訴訟代理人弁護士

佐伯千仭

藤田一良

中北龍太郎

加島宏

三上陸

原田紀敏

藤田正隆

大西裕子

川下清

森博行

澤藤統一郎

板垣光繁

梓沢和幸

児玉勇二

加藤朔郎

宇都宮健児

安養寺龍彦

白谷大吉

中山武敏

安田秀士

青木孝

右訴訟復代理人弁護士

位田浩

金井塚康弘

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

島田睦史

外四名

主文

一  原告らの請求の趣旨第1項ないし第3項記載の各請求(違憲確認請求)に係る訴えをいずれも却下する。

二  原告らの請求の趣旨第4項記載の請求(損害賠償請求)をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(違憲確認請求)

1 被告が、自衛隊法第一〇〇条の五第一項に関する平成三年一月二五日公布政令第八号「湾岸危機に伴う避難民の輸送に関する暫定措置に関する政令」を制定・公布したことは、違憲であることを確認する。

2 被告が、湾岸協力会議に設けられた湾岸平和基金に対し九〇億ドルを支出したことは、違憲であることを確認する。

3 被告が、海上自衛隊の掃海艇母艦、掃海艇及び補給艦並びに自衛隊員をペルシャ湾に派遣したことは、違憲であることを確認する。

(損害賠償請求)

4 被告は、原告らに対し、各一人当たり金二万円を支払え。

5 訴訟費用は被告の負担とする。

6 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 請求の趣旨第1項ないし第3項の請求に係る訴えをいずれも却下する。

(二) 訴訟費用中、前項の各訴えに係る部分は原告らの負担とする。

2  本案に対する答弁

(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

(三) 請求の趣旨第4項の請求につき担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  本件裁判の意義

原告らは、恒久の平和を希求して本訴を提起した。

日本国憲法は、先の大戦の惨禍の反省から、戦力と交戦権を放棄した。ところが、政府は、いわゆる湾岸戦争交戦当時国に九〇億ドルもの巨額の戦費を支出し、自衛隊機の派遣を特例政令で決めたばかりか、ペルシャ湾に海上自衛隊の掃海母艦、掃海艇、補給艦及び約五〇名の自衛隊員を派遣し、機雷の除去及び処理をさせた。憲法の平和主義の理念を政府が打ち捨て、国会がこれに追随しようとしている今こそ、裁判所は司法に課せられた憲法規範と人権の保障の責務を全うすべきである。

原告ら日本の市民は、憲法前文に書き込まれているとおり、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」。この権利が政府の行為によって侵害されようとするとき、市民は自らの人権として平和を守るために、政府の侵害行為を差し止める権利を有する。また、平和を破壊する政府の行為を差し止める権利は納税者としての権利でもある。国の財政における民主主義は、単に徴税を適法手続によらしめることを意味するだけではない。

このようにして、原告らは、いずれも平和的生存権及び納税者基本権の主体というべきである。しかるに、戦費支出、自衛隊機及び自衛隊掃海部隊の派遣は、いずれも参戦行為にほかならず、憲法前文の平和主義、憲法九条に明確に違反しており、この被告の行為により原告らはこれらの権利を侵害されている。

原告らが本訴訟において求めるものは、裁判所の憲法に忠実な判断であり、裁判所にあっては、本訴訟の意義を十分理解し、平和を希求する原告らの声に真摯に耳を傾け、司法に課せられた憲法と人権保障の責務を遂行されるよう心から要請する。

2  事実の経過

(一) 戦費の負担

平成三年(一九九一年)一月一七日、米軍を中軸とする多国籍軍がイラクに対し武力行使を開始し、湾岸戦争が勃発した。政府は、戦争勃発までに既に多国籍軍支援のために二〇億ドルを支出していたが、一月二四日、多国籍軍への九〇億ドル(一兆一七〇〇億円、一ドル一三〇円換算。)の追加支援を決定し、三月中旬、右九〇億ドルを多国籍軍の戦費として、湾岸協力会議が多国籍軍支援のために平成二年(一九九〇年)九月二一日に設立した湾岸平和基金に支出した。

(二) 自衛隊機派遣の決定

平成三年(一九九一年)一月二五日、政府は湾岸戦争での避難民輸送を理由として、自衛隊法一〇〇条の五の特例政令として、左記内容の「避難民の輸送に関する暫定措置政令」(以下「本件政令」という。)を制定し公布した。

「内閣は、自衛隊法(昭和二九年法律第一六五号)第一〇〇条の五第一項の規定に基づき、この政令を制定する。

自衛隊法第一〇〇条の五第一項に規定する政令で定める者は、当分の間、自衛隊法施行令(昭和二九年政令第一七九号)第一二六条の一六に規定する者のほか、湾岸危機(イラクのクウェートに対する侵攻および占領以降国際連合安全保障理事会決議第六七八号に基づく国際連合加盟国のイラクに対する武力行使に至る一連の事態およびこれに引き続く重大緊急事態をいう。)に伴い生じたイラク、クウェートおよびこれらの国の周辺の国からの避難民として、避難民についての輸送その他の支援をその活動の一部とする国際機関からわが国に対しその本国への輸送その他の輸送の要請があった者とする。

付則

この政令は、公布の日から施行する。」

(三) 掃海艇部隊の派遣

イラク政府は、平成三年(一九九一年)四月一一日、国連安全保障理事会の停戦決議を受諾したが、これと前後して、日本においてペルシャ湾への機雷掃海問題が急浮上し、四月二四日、政府はペルシャ湾への海上自衛隊の掃海部隊の派遣を決定し、四月二六日、掃海部隊はペルシャ湾に向けて日本を立った。

3  政府の行為の違憲性

(一) 憲法九条について

(1) 平和憲法の成立過程

明治維新を成し遂げた日本は、その後、東南アジア諸国への侵略を繰り返し、太平洋戦争に突入したが、昭和二〇年八月一五日に無条件降伏した。日本の敗戦は、明治維新後の対外的な侵略戦争とこれを支えた絶対的天皇制国家体制の崩壊、敗北を意味しているが、こうした過程で、日本国民は平和憲法を生んだ法意識を支える共通した国民的経験と歴史的教訓として、①日本が自存自営の名において侵略戦争を遂行してきており、「自衛戦争」と「侵略戦争」の区別が現実には至難又は不可能であって、両者を区別する見解は戦争防止の法理論としては欠陥があること、②日本の独立を守る名目でなされる軍備の拡大強化は、常に国際緊張を激化し、軍拡競争の悪循環をもたらしただけでなく、国内的には国民の自由・人権を蹂躙する絶対主義的国家、軍国主義体制の強化になり、対外的な侵略戦争政策を推進させ、最終的には敗北し、国を滅亡させる結果となること、③近代・現代戦争は、他国民及び自国民の人権を破壊する最大悪であり、核戦争の惨禍は人類を滅亡させる絶対悪であること、を学んだ。

戦後、連合国総司令部は、憲法改正着手を指示し、総司令部の憲法改正案がマッカーサー・ノートとして示され、その中で一切の戦争、軍備放棄条項が明記された。このマッカーサー・ノートの示唆を受けた日本政府は、昭和二一年三月六日憲法改正草案要綱を発表し、同年一一月三日に平和憲法の制定に至ったのである。

このように、平和憲法が、占領下で連合国総司令部の主導のもとでなされたことは否定しえないが、戦争放棄と軍事不保持規定の発案は幣原喜重郎首相によりなされており、また、日本国民が絶対的平和とそのための一切の戦争放棄、戦力不保持こそ日本の進むべき道であると知り、それが日本国民の意思となって、憲法九条を生む基礎となったものである。

(2) 憲法前文と同九条の趣旨

憲法前文第一段は、戦争により最も被害を被る民衆が戦争防止のために政府の権力をコントロールすることによって戦争を阻止できるとの理念を表明した。第二段では、憲法九条の前提となる基本思想を示すとともに、戦争と軍備に代わる平和維持の在り方を示し、国家の非武装によって諸国民相互の不信を絶ち、他国を侵さない平和の国であるとの信頼を勝ち取り、これと世界平和への積極的貢献によって、他国をおそれさせることのない状態を創出できるとの絶対的平和思想を採用した。第三段は、独善的な自国中心主義を否定し、諸国家との友好関係を維持する国際協調主義に立つべきことを明らかにした。こうした前文の基本思想に立って、憲法九条は一切の戦争、武力による威嚇又は武力の行使を放棄し、すべての戦力を保持しないと定め、交戦権を否認したのである。

このように、正義・自衛の戦争を否定し、かつ、自衛のための戦力の保持をも否定した非武装中立が憲法の神髄であり、政府も、敗戦後しばらくは、絶対平和主義と国家非武装が憲法の原点であることを繰り返し明言していた。

ところが、政府は昭和二五年八月に警察予備隊を設置し、昭和二九年の防衛二法の制定に伴って自衛隊に発展していった。このような自衛隊の存在自体が違憲のものであるが、自衛隊創設に際し、参議院内閣委員会が全会一致で賛成し、採択された「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」でも、「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈たる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。」とされていたし、提案理由でも、「自衛隊とは国土を守るということであって、この限界を越えると際限もない遠い外国に出動することにあることは太平洋戦争の経験で明らかである。憲法の明文が拡張解釈されることはまことに危険であるから、その危険を一掃するうえからいっても、海外に出動せずということを、国民の総意として表明しておくことは、日本国民を守り、日本の民主主義を守るゆえんである。」とされていた。自衛隊の海外派遣は、この決議と提案理由にあるように、過去の過ちを繰り返し、際限なく遠くへ出動し、他国であるいは他国へ戦争を仕掛ける危険を常態化させるものである。自衛隊の海外派遣は、「自衛・正義」の名による侵略戦争への道に他ならない。

(3) 平和憲法の意義

日本国憲法は、平和への努力を続けてきた世界の歴史の流れにのっとりながらそれを最も徹底させ、自衛戦争を含めすべての戦争を全面的に放棄し、また、それに伴って一切の軍備を保持しないという最も徹底的な平和主義を定めている。自衛・正義の戦争を容認する思考を排斥し、国家間の紛争を戦争という手段によって一切解決すべきではないという点に、日本国憲法の画期的意義が存在するのである。

軍事依存と戦争手段を捨て切れない現代世界は、核兵器競争や通常戦力の発展による市民の文化・生活の破壊のおそれ、軍拡競争による戦争の危機の常態化や軍事費負担増加による経済・福祉への悪影響、強国による弱国の支配・抑圧や弱国に対する武器輸出による戦争の誘発、破壊と殺人の準備のための大量消費や地球環境悪化の危険、軍事的価値を優先させることによる民主主義の弱体化などの深刻な問題を生じさせている。このような現代の危機を克服させる最も理性的で唯一の現実的方法は日本国憲法が採用する徹底した戦争及び軍隊の放棄の方式である。

現在、世界中で日本国憲法に向かって近づこうとする一つの流れが確実に形成されている。ソ連のペレストロイカが牽引力となって冷戦の終わりが実現し、平成二年(一九九〇年)一一月二一日にヨーロッパ三二ケ国とアメリカ、カナダの三四ケ国が参加して開催された全欧安保協力首脳会議で採択されたパリ憲章は、ヨーロッパの対立と分断の時代は終わったことを宣言し、基本的人権と少数民族の生存権の尊重と社会的公正を機軸に民主主義を基礎とした相互協力によって世界平和を実現することを誓っている。憲法九条の思想は着実に世界に根付こうとしているのである。このように日本国憲法の普遍的意義は、世界平和確立のために光芒をはなち、現実的有効性を発揮している。

(二) 湾岸戦争について

(1) 湾岸戦争の被害実態

湾岸戦争は、戦闘開始から六週間、地上戦百時間足らずの戦争であったが、この短期間に、過去とは比べものにならない大量の爆弾が投下された。アメリカは、イラクに向けて一一万回の戦闘機出撃を行い、八万八〇〇〇トンの爆弾を落としたことを認めている。また、分かっているだけで、アメリカは広範囲な地域の焼却、殺人能力を持つ気化爆弾、ナパーム弾、集束爆弾と対人破壊爆弾、政府要人の暗殺を目的とする二トン半スーパー爆弾等の違法な武器を使用し、また禁じられた使用を行った。イラクに対する多国籍軍の中心はいうまでもなくアメリカ軍であり、湾岸戦争によりイラクが受けた被害の圧倒的大部分はアメリカ軍によってもたらされたものである。

アメリカ軍による空爆戦・地上戦の結果、イラク軍兵士の死者は一〇万人から一二万人に上り、うち半数が戦争末期の地上戦の一〇〇時間で命を失っている。クウェートからイラクのバスラに向けてハイウェー六号線を敗走するイラク軍に対する無差別の爆撃は、全く無意味な大量虐殺であり、黒いスクラップと化した車両と黒焦げの死体が数キロにわたり累々と横たわっている光景には、アメリカ軍の将校でさえ吐き気をもよおしたと言い、この惨状は「死のハイウェー」と呼ばれている。

また、アメリカ軍は、戦争開始当初から空爆による市民の犠牲を最小限に止めるとしてきたが、被害実態はこの宣伝が虚偽であることを証明している。例えば、二月一三日にはバクダッドの中心部の一般市民の防空壕に、アメリカ軍のミサイル二発が命中し、五〇〇人以上の市民が死亡した。そして、それ以上に、アメリカ軍の攻撃の結果、発電・運輸・生産設備、上下水道関連施設、病院等が破壊され、そのため汚れた水による伝染病や飢饉によって数万の人命が失われた。衛生的な飲料水、適切な居住条件、十分な食料の供給その他必要な手立てが回復するまでにもっと多くの人が死亡することが予測される。

さらに、湾岸戦争に突入したため大量の原油が流失し、流失原油は二四〇ないし四〇〇平方マイルにわたって海面を覆い、ペルシャ湾が死の海と化し、海洋生物資源の多くが死に絶えており、油田火災によって酸性雨、低温化等の気象異常、大気中への極めて毒性の強い二酸化硫黄、一酸化炭素等の放出、多量の硫黄を含んだ煙が雨によって地表に流されて、飲料水源を汚染するなど、人々の健康を著しく破壊する現象が深刻になっている。

これらに加えて、湾岸戦争では、種々の社会的基盤が被害を受けている。イラクの発電所の四分の一は稼働不能となり、半分は稼働率が低下して、終戦時には、戦前の四パーセント以下しか発電ができなくなり、終戦後一週間経過した時点でも、戦前の二三パーセントしか回復していない。石油精製設備も、終戦までに大半が破壊され、深刻なエネルギー不足をもたらした。また、通信情報施設では低出力のラジオ、テレビ局まで攻撃の目標とされ、終戦時には一つの町のローカルな交換機能を除いて国内外を通じる電話網はすべて破壊され、郵便も崩壊状態となった。さらに、五四本の橋のうち四〇本は通行不能となり、その他一〇本は損傷を受けて、無事に残った橋は四本だけであり、これにより、イラクの主要な鉄道、道路は不通となり、輸送力は著しく低下し、食料補給等が困難となった。これらの社会的基盤は直接の軍事的施設ではないにもかかわらず、アメリカ軍は軍事施設として攻撃目標に設定したのである。現代の戦争では、民生用施設と軍事施設の区別が消失し、あらゆる民間施設が攻撃目標とされるが、アメリカの攻撃はいかなる意味においても軍事施設とはいえない橋を無差別に破壊し、電力、通信施設等も無差別に、徹底的に破壊した。これら破壊によって、イラクの市民生活は潰滅的な状態に陥り、特に、発電所の破壊による電力不足の結果、水の浄化、汚水処理を不能ならしめた。病気があふれ、本来なら治る病気も治せなくなり、公衆衛生上危機的状況に陥り、道路、鉄道網の破壊、燃料不足等の原因による輸送力の低下、通信網の破壊による情報不足は、食料品等の生活必需品の補給を困難ならしめて、インフレにも拍車をかけ、市民生活を経済的にも圧迫した。

以上のように、湾岸戦争においては、ハイテク兵器の使用により、極めて短期間に通常兵器では考えられない程の被害を与え、市民生活を麻痺させ、完全に破壊し、自然環境に未曾有の損害を与えた。現代戦争では、敵のハイテク兵器誘導システムを破壊することが緊要な戦略でありその関係で市民生活にとって必要不可欠な電信通信施設などの社会的諸施設が徹底的に破壊される。しかし、そのことは市民生活の基礎を破壊し、これまでの戦争とは比較を絶するほどの大量殺戮、大量破壊をもたらすのである。このことは、改めて、私達に、核戦争はもとより、通常兵器における戦争、局地戦争、自衛戦争などの名目の如何をとわず、一切の戦争を放棄し、武器、その他の戦力を保持しないことが戦争の脅威から免れる唯一の方法であり、今こそ、日本国憲法九条を遵守することが人類の未来を保証するものであることを教えている。この実現こそ、湾岸戦争により殺された多くの無名の人々の死を意義あらしめることになるのであって、それは日本国憲法九条の下で生存する国民の責務である。

(2) 湾岸戦争の意味

アメリカは、昭和四八年(一九七三年)のオイルショック以来、湾岸からの石油供給がアメリカの死命を制するとみなし、それに危機が生じたときに軍事介入するとの方針を立ててきた。昭和四八年(一九七〇年)に始まる産油国と消費国の対立は、この地域でのアメリカの石油支配権を大きく奪ったが、アメリカは石油資源の安定的供給確保は死活的利害であるといって、湾岸地域での失地回復を焦眉の課題にしてきた。この戦略に基づき、緊急展開軍が創設され、それが昭和五八年(一九八三年)のレーガン政権下で中央軍に改組され、以降、軍事能力は次第に強化されていったのである。アメリカが戦争を強行したのは、イラクのクウェート進攻が湾岸の石油を非友好的政権下に置くことになり、アメリカの経済的利害を侵すことになると考えられたからであり、湾岸戦争はまさに石油支配のための戦争であった。

だからこそ、アメリカは戦争計画を実現するためあらゆる干渉を妨げるように行動した。圧倒的軍事力を駆使して勝利を得たアメリカは、イラクの軍事力のみならず、社会的・経済的基盤をも破壊し、アメリカの経済的利益を脅かす「脅威」を排除した。同時に、アメリカは湾岸戦争によって、大産油国であるサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦をその影響下に置いた。こうして、アメリカは、湾岸へのアクセスを確保し、世界の石油市場動向を規定する力を手に入れた。また、中東派遣司令部を半恒久的に常駐させ、さらに、諸国にアメリカの新鋭兵器を供給し、共同軍事行動がとれる体制を押し進めるなどして、湾岸におけるアメリカの軍事プレゼンスを打ち立てた。

このように、湾岸戦争は、中東地域における石油資源の支配というアメリカの国家戦略を貫徹するために敢行されたものである。

(三) 自衛隊について

(1) 自衛隊の戦力の実態

自衛隊の前身である警察予備隊は昭和二五年に七万五〇〇〇人で発足したが、現在(平成三年三月末現在)、自衛隊法による定員は二七万三八〇一人、実員で二三万四一七七人である。この定員数はイギリス陸軍約一五万人と比較しても引けをとらない。

また、自衛隊の主要な装備は、昭和三三年から同五一年までの四次にわたる防衛力整備計画、その後の防衛計画大綱に基づく整備、同六一年からの中期防衛力整備計画によって、正面装備は世界一級の兵器を備えるに至った。主力戦闘機はアメリカ空軍と同機種の対地攻撃能力を持ったものが導入されているし(しかも空中空輸システムの導入も目指している。)、戦車はソ連との戦車戦に勝つことを念頭にした巨大戦車である。海上では、多数の護衛艦、潜水艦が就役しており、対潜水上戦闘艦の保有数は、世界有数となっている。しかも、これらの正面設備は、科学技術に裏付けされた現代兵器で、とりわけ要撃戦闘機F―一五や対潜哨戒機P三―Cの保有数はアメリカに次ぐものとなっており、NATO主要国と比較しても遜色がない。攻撃力の範囲は、日本の領域をはるかに超えるものとなっているのである。

政府は、防衛関係費について、昭和五一年にGNP一パーセントを超えないとの閣議決定をしたが、中曾根首相が打ち出した中期防衛力整備計画により、昭和六二年度に右一パーセント枠は簡単に取り払われた。平成二、三年度の防衛関係費は四兆円を上回るものであり、NATO式の計算方法でいくと、アメリカ、ソ連に次いで世界三位の額になる。

自衛隊は、日本全国に配備され、演習も行っているが、近年、アメリカとの共同訓練が強化されつつあり、また、自衛隊は、いくつもの部隊をアメリカに派遣して訓練をさせてもいる。これらは、憲法において禁止されている集団的自衛権の行使に向けられた行動に外ならず、海外出動をしないという国会決議を踏み越えるものである。

(2) 政府の憲法九条解釈

第九〇帝国議会における吉田茂首相の答弁は、明確に国家の正当防衛権ないし自衛権まで制限を受けるとの解釈であった。しかし、警察予備隊及び保安隊が創設されると、政府は、憲法九条二項で放棄された戦力とは、近代戦争を遂行するに足りる装備編成を備えるものであり、これを侵略防衛の用に供しても違憲ではないと解釈するようになり、昭和二九年に自衛隊が発足すると、自衛権の行使として必要最小限の実力を備えることは許される、何が、自衛のために必要、最小限度かについては、「他国に対して侵略的脅威を与えない」ものであるとの一般的答弁がされ、その後、「その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があることは否定しえない。」(昭和五三年二月一四日、衆議院予算委員会提出資料)との見解が示されるに至っている。

また、集団的自衛権を行使することはわが国を防衛するための必要最小限度の範囲を超えるもので憲法上許されないとの見解(昭和四七年一〇月一四日政府答弁書)が示されているが、しかし、距離的、地理的状況、武力行使しているものの活動状況、それとわが国の協力行為との密接性等を勘案して、戦闘行為とは一体性のない協力であれば可能であるとし(平成二年一〇月二九日衆議院国連特別委員会、工藤法制局長官答弁)、集団的自衛権の行使を国家による実力の行使に切り縮めたうえで、湾岸平和基金に対する資金搬出は実力の行使に当たらないので集団的自衛権の行使ではない(平成二年一一月二七日に政府答弁書)と答弁するに至った。また、いわゆるPKO法案の提出の際に、憲法九条一項の武力の行使とは、わが国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいうのであり、武器の使用がすべて同項の禁止する武力の行使に当たるとは言えないとの解釈を展開している(平成三年九月二七日政府統一見解)。

しかし、こうした解釈は、憲法制定者の原意を踏みにじった、解釈とは名ばかりの時々のご都合主義的な政治的見解であり、憲法の規範的意味を喪失させるものである。世界二位、三位とも言われる軍事力を有する自衛隊が戦力でないというのなら、この世界中で戦力を保持する国は一ないし二国にすぎなくなる。実力行使以外の協力であれば、戦費支出もできる。武器使用をしても武力の行使ではない等々と解釈するに至っては、憲法規範の潜脱も行き着くところまで来たというほかはない。

(3) 憲法九条の解釈

憲法九条は、第一項で侵略戦争はもとより自衛戦争も放棄されていると解釈されるべきである。前文第一項にあるように、「政府の行為によって」戦争が行われたことの痛切な反省のもとに制定された憲法制定の経緯、マッカーサー・ノート第二原則の「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」との文言、それを受けた連合国総司令部案第二章八条「国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス」との表現及び憲法の公定英訳の語順に照らせば、「国際紛争を解決する手段としては」という限定は「武力による威嚇又は武力の行使」にのみかかり、戦争の放棄は無限定と解釈すべきだからである。すなわち、自衛権という自然発生的なもの自体は否定されないが、自衛権の主体は第一次的には個々の国民であり、国家による自衛権の行使としての「武力による威嚇又は武力の行使」は原則として否定され、国際紛争を解決する手段としては、外交交渉等の非武力的方法によるべきである。

また、憲法九条の第二項で保持が禁止されている「戦力」とは、侵略戦争、自衛戦争を問わず、一切の戦争遂行能力のことであり、また、「国際紛争を解決する手段として」の「武力」に応じた実力の保持も禁止される。

このようなことからすると、自衛隊は、「陸海空軍その他の戦力」にあたり、また、「国際紛争を解決する手段として」の「武力」に相応するものも保有しており、違憲である。

(4) 自衛隊の海外派兵と日米安全保障条約

自衛隊派遣の特例政令や掃海艇派遣は、自衛隊の海外派兵に外ならない。政府・自民党は、国連平和協力法案及び国際緊急援助隊法改正案の各提出(平成二年一〇月一六日)、いわゆるPKO法案提出(平成三年九月一九日)、自民党の「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」がした自衛隊の国連軍、多国籍軍への参加提唱(平成三年九月二〇日)、自衛隊法一〇一条の改正案提出(平成四年三月一〇日)など、様々な形で海外派兵のための態勢作りをしてきた。特例政令や掃海艇派遣は、湾岸戦争を口実に、海外派兵を具体化する試みの突破ロである。

ところで、このような海外派兵は、安保体制と自衛隊の本質とに根ざしている。昭和三五年に改定された日米安全保障条約は、防衛力の維持・発展と共同防衛の義務を明記し、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」在日米軍基地の使用が認められた。昭和五三年一一月に日米両政府によって了承された「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)は、対ソ対決をアジア・太平洋に持ち込むアメリカの軍事戦略にそったものであった。そして、中曾根内閣の下で一挙に具体化され、日本を「不沈空母」にし、「三海峡封鎖」をし、「シーレーン一千海里防衛」等、安保協力に名を借りた自衛隊の軍拡、外洋活動が強引に進められ、有事に際して日米共同作成を展開するために、アメリカ軍と自衛隊との共同演習、共同研究が積み重ねられてきた。そして、その後の米ソ冷戦体制の終結で日米安保体制は根拠を失い、憲法九条を実現させる客観的条件が熟したのに、日米安保体制は一層グローバルなものに変質していった。平成四年一月のブッシュ大統領と宮沢首相による東京宣言では、「日米同盟関係は、両国がグローバル・パートナーシップの下で、世界の平和及び安定を確保するため、各々の役割と責任を担うべく協力していく上での政治的基盤となっている。」と唱えられたように、日米安保体制と自衛隊は、冷戦終了後のアメリカの軍事戦略の一翼(アメリカ軍と協力して世界中の地域紛争に対する軍事力を担う役割)を担わされることになったのである。

しかし、アメリカの軍事戦略の一翼を担う安保体制自体が、国際紛争をあくまで平和的手段によって解決することを原理とする平和憲法と根本的に相入れないものである。日米安保体制は、自衛隊増強と海外での武力行使を正当化する役割を果し、平和憲法破壊の根源となっている。

4  被告の各行為の違憲性

(一) 本件政令の制定公布について

自衛隊は戦力であり、憲法九条に違反する。違憲である自衛隊が海外に派遣されることも、当然、憲法九条に違反する。また、派遣が予定されていた自衛隊機には対ミサイル装置が装備され、要員たる自衛隊員には拳銃、小銃などの携帯が予定されていた。戦費負担によって中立とはいえない日本がこのような自衛隊機と自衛隊員とを派遣すれば、武力の行使ないし武力による威嚇であり、憲法九条に違反する。このような海外への軍事力の展開は、憲法九条と平和主義の精神とを踏みにじるものである。

また、自衛隊機の海外派遣は、自衛隊法一〇〇条の五の第一項の委任命令に基づくとして政令で定められた。しかし、第一項の輸送対象者は、「国賓、内閣総理大臣その他政令で定める者」、すなわち、いわゆる要人輸送であって、これに、本件政令で「避難民」を含ませることは法の委任範囲を著しく逸脱したものである。百数十名もの自衛隊員が部隊として派遣され、不特定多数の避難民輸送にあたることは、同条項の定めるものとは全く異なる。したがって、本件政令は、憲法四一条、自衛隊法一〇〇条の五第一項に違反している。

このように、自衛隊の海外派遣は、自衛隊法に基づく日本の防衛政策をも大きく逸脱したものであるが、それにもかかわらず、政府は、自衛隊機を派遣した。今回、国際移住機構(IMO)は避難民対策として自衛隊派遣の要請をしていないし、九〇人乗りの自衛隊機(C一三〇H)では十分な役に立たないのに、本件政令を強引に制定したのは、避難民対策の名のもとで、自衛隊の海外派遣に道を開きたいとの狙いがあったためである。

(二) 戦費支出の違憲性

多国籍軍のイラクに対する武力行使のような国際紛争の解決手段は、憲法九条及び憲法前文の恒久平和主義とは根本的に相容れない。そして、いうまでもなく武力の行使は戦費がなければ不可能であり、戦費支出は武力行使の不可欠の要素であり、両者は不可分である。したがって、武力の行使及び武力による威嚇を禁止する憲法九条は、他国の戦争であっても戦費を支出することをも禁じており、また、憲法の平和主義からも、戦費支出によって戦争に加担することは許されない。九〇億ドルは戦費支出であり、その違憲性は明白である。

(三) 掃海部隊の海外派遣の違憲性

そもそも自衛隊は憲法違反の存在であるから、自衛隊機派遣と同様、掃海部隊の海外派遣は憲法九条に違反することは明らかである。また、掃海艇四隻、掃海母艦、補給艦から編成される掃海部隊は、自衛隊の軍事作戦部隊の重要な構成要素であり、多銃身機関砲、連装速射砲などの武器や最新技術の粋を凝らした掃海具一式等を装備する国際法上の軍艦であるから、本来の任務である掃海業務の遂行を目的としてこれを海外に派遣することは、憲法九条で禁じている「武力の行使」に当たり、かつ、憲法九条と憲法の平和主義が絶対的に禁止している海外における「武力の行使」に外ならないから、この点でも明確に憲法に違反する。さらに、自衛隊の海外派遣は、自衛隊法や従来政府が取ってきた専守防衛の原則をも捨て去り、かつ、第二次世界大戦後、日本近海に放置された機雷の処理を目的として規定された自衛隊法九九条の立法趣旨をも逸脱して、憲法九条の破壊を飛躍的に押し進めるものであって、その違憲性は絶対的に明白である。

そして、掃海部隊の海外派遣は、次に述べる諸点からみても憲法の禁じている海外における武力の行使ないし武力による威嚇にほかならず、違憲である。

(1) 湾岸戦争において、日本は、戦争の一方当事国であった多国籍軍の中核であった米国に対し、合計一一〇億ドルもの巨額の戦費を負担・支出しており、中立的立場であったとは到底言うことができず、湾岸戦争の一方に深く加担してきた。したがって、このような立場にある日本の掃海部隊の派遣及び掃海行為は、戦争の一方に加担する行為であると客観的に評価される。

(2) 掃海作業、すなわち機雷処理は、陸上での地雷処理と同様、戦時状態を解消し、イラクを武装解除していく軍事的な事後処理であり、まさに戦闘状態の継続に他ならない。しかも、掃海部隊の出発は、停戦決議のあった平成三年(一九九一年)四月一二日からわずか二週間しか経っていない時期に行われており、平時の状態が回復されていたわけではなく、停戦条件が崩れれば、戦闘がいつ再開されるか分からない状態であって、このような緊急状態下で機雷処理という軍事的事後処理を行うことは、明らかに軍事的性格を帯びている。

(3) また、掃海作業の海域はイラン・イラク領内にあったもので、掃海の対象とされた機雷は軍事作戦のために敷設された機雷であり、そうした機雷除去のために他国の領海に入ることは、掃海という軍事的性格から言って、明らかに他国に対する武力行使ないし武力による威嚇に当たる。しかも、本件掃海部隊が掃海をした海域は、航路を外れた北側であって、航路の安全とは直接関係がなかった。

(4) 日本から派遣した掃海部隊は単独では行動できず、機雷の除去作業を実施しているアメリカ軍等との密接な連絡や協力があって初めて可能になる。その結果、掃海作業は多国籍軍の中心であったアメリカ軍の指揮下に実施されることにならざるを得ない。日本の掃海部隊は武力を行使しているアメリカ軍の指揮下に事実上入ることになるのであるから、この点からも掃海行為は武力の行使と言わざるを得ない。

5  原告らの被侵害利益

(一) 平和的生存権

(1) 平和的生存権の法的根拠等

憲法は、前文において、敗戦に至る過去の日本の数々の戦争が政府の行為によって引き起こされたことへの反省に立ち、主権者たる市民が政府を民主的に統制することによって、戦争への惨禍を再び起こさないようにすること、軍事力によって平和を維持する立場を超克し、市民が主体となって、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」諸国民と連帯して、「恒久の平和」を実現していくことを明らかにしたうえ、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と総括している。これは、国家が政策として平和主義を掲げた結果、諸国民が平和のうちに生存し得るといった反射的利益を受けることを意味するのではなく、積極的に、市民が国家に対し全世界の人々が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存することを求め得る基本的権利を明らかにしているのである。すなわち、憲法前文は、第二次世界大戦における惨状の経験から、平和の確保は国家の武装・戦争手段によっては絶対不可能であり、平和を国家間の関係に委ねていては維持できないという歴史的認識に立って、国家に対し平和の維持を市民に対する関係において義務づけ、平和の保持を国家に対して要求できる権利、すなわち平和的生存権を市民に対して保障したのである。

この平和的生存権を侵すことのできない永久の権利として徹底的に確保するため、憲法九条は戦争の全面的否認と軍備の不保持を定めている。憲法は、戦争と軍備を否定する平和主義を貫徹する以外に日本を含め全世界の民衆の平和的生存権を確保できないという基本的認識に立脚している。このように、憲法においては、平和主義と基本的人権尊重主義とは、一体のものとして保障されているのであり、この二つの基本原理は、密接不可分に結合して憲法の支柱となっている。

さらに、憲法一三条をはじめとする基本的人権尊重の原理からも、平和的生存権の憲法的根拠が与えられる。言うまでもなく、戦争は、人の生命や個人の尊厳を根こそぎ破壊し、戦時や準戦時体制下では自由や人権が圧迫されることは歴史的経験から明らかである。また、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保障する人権の総論的規定である憲法一三条は、「個人の尊重」、すなわち人間の生存と尊厳にかかわる基礎的権利を保障しており、その中には第三章で明記されていない重要な人権が包摂されている。したがって、個人の生命・自由・人権及び個人の尊重の生命線であり、基礎でもある平和を維持する平和的生存権は、当然憲法一三条によっても保障されている。

(2) 平和的生存権の内容、要件、効果

平和的生存権は、日本の市民が、国家に対し、戦争やその危険性がない平和な状態で生きることができることを求めるものである。しかも、日本の市民が戦争の危険に曝されないことを求めることができるだけでなく、他国の民衆が戦争の危険に曝されることがないことまでも求めることができると解される。日本が他国の民衆を戦争の危険に曝したとなれば、必ずや、日本の市民も同じ状態に引き込まれていくことは避け難いからである。

そこで、日本国自体が戦争の当事国になることはもちろん、日本が他国間の戦争に人的、資金的、物的に参加・協力することも、他国の平和を破壊し、自ら戦争を行うことと変わりがなく、日本が戦争に巻き込まれていく危険を常態化させるものであり、右平和的生存権を侵害することとなる。

平和的生存権は、憲法で保障された実定法上の人権として、裁判規範たる意義を有しており、政府の行為によってかかる権利が侵害されたときは、市民は、右侵害によって損害を受けたとして、損害賠償を求めることができるというべきである。

(3) 平和的生存権の侵害

湾岸戦争は、空爆による民間人を含む殺傷、原子炉破壊、原油による環境破壊、地上戦による悲惨な戦争被害など、恐るべき惨状をもたらしている。自衛隊の派遣、戦費支出及び掃海部隊の派遣は、まさに戦争に加担する参戦行為であり、これによって他国の民衆に戦争被害をもたらし、かつ、他国との緊張関係を高め、憲法が絶対的に禁止する戦争に道を開き、それが契機となって他国との戦争勃発の引き金となる絶えざる危険を有しており、平和を根底から脅かすものであるから、平和的生存権を侵害する。

(二) 納税者基本権

(1) 納税者基本権の法的根拠等

日本国憲法の財政条項(第三〇条及び第七章)は、憲法の基本原理(主権在民・平和主義・基本的人権の保障)下における財政条項であり、国が財政権(課税権・支出権)を行使する上で厳格に遵守しなければならない。したがって、憲法で規定する規範原則はすべて租税の徴収と使途を規制するものであり、憲法の規範原則に反する租税の徴収と支出は憲法違反となる。国民は、市民に対する課税及び国費の支出が憲法に適合していない場合には、「憲法に適合するところに従って租税を徴収し、使用することを国に要求する権利」を有するのである。

この納税者の権利(納税者基本権)は、日本国憲法前文第二段(「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国政に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」)、憲法の基本原理及びその下での財政条項に根拠を有する実定法上の権利である。

(2) 納税者基本権の内容、要件、効果

国民の国に対する租税の支払は、信託法でいう「信託」と極めて類似した性格を有する。したがって、納税者と国との権利義務関係は、憲法条項そのものに規定がない部分については、信託法の法理を類推すべきである。

ところで、原告ら納税者による国政の信託における「信託行為ノ定ムル所」(信託法四条)または「信託ノ本旨」(同法二〇条)とは、日本国憲法の諸規定、とりわけその根本規範をなす国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重であることは明らかである。さらに、主権者であり納税者である国民から政府に向けた国費支出に関する明確な禁止命令が憲法条項中に存在するのであり、そのうちの一つが憲法九条であるところ、同条の趣旨は、憲法前文一項に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、…この憲法を確定する。」とあることに照らせば、国民から国・政府にあてた戦争や武力の行使の禁止命令であり、軍備保持の禁止命令であることは疑いの余地がない。すなわち、憲法九条は、戦争や武力行使または軍備のための国費支出を明確に禁止した条項でもある。

そして、民事上の信託と同様、憲法上の信託にあっては、受託者であり同時に受益者でもある原告ら納税者は、少なくとも憲法九条のような特定の憲法上の禁止規範に違反した国費支出については、自己の納税者基本権が侵害されたものとして、信託法の類推により、その違憲確認を求めて出訴し、あるいは損害賠償を求める権利を有する。このように、納税者基本権は、納税者である国民の期待する福利が正しく達成されることを確認し、支払った租税があらぬことに浪費され、あるいはそれを超えて納税者の生存まで脅かすことのないことを確保するために、納税者について当然認められた基本的人権であって、法規範性があると考えるべきである。

(3) 納税者基本権の侵害

九〇億ドルの支出、自衛隊機及び掃海部隊の派遣は日本国憲法に違反することは明らかであり、納税者基本権を侵害することも明白である。また、九〇億ドルを支出する財源として石油臨時特別税及び法人臨時特別税の新設が予定されているが、これらにより、納税者は直接・間接に租税負担が増大することになり、納税者は具体的・現実的な損害を被るのである。

九〇億ドルの支出は、国民一人当たり一万円以上の負担であり、さらに掃海部隊の派遣に伴う支出も行われて、原告らの納税者基本権は侵害されている。

(三) 思想・良心の自由

憲法一九条の思想及び良心とは、いずれも内心におけるものの見方ないし考え方を言うのであって、両者は密接なつながりを持ち重なり合っている。

ところで、原告らはいずれも、ある者はその戦争体験から、ある者はさまざまの実践から、ある者はその信仰から、日本国憲法前文二項、九条が明らかにした平和主義を世界観ないし信仰の内実として、長年にわたり育んできた者である。しかるに、原告らは有無を言わさず、租税の支払の形で自己が負担した国費の中から湾岸戦争の費用が支払われ、費消されることを受忍することを強制され、深刻な精神的苦痛を感じている。原告らは、被告の平和主義に反する加害行為により、思想良心の自由という民主主義の根本をなす最重要の自由を侵害されたものである。

6  被告の責任

被告は、故意に、本件政令に基づく自衛隊機の海外派遣決定、九〇億ドルの戦費支出及び掃海部隊を海外に派遣する違憲行為を行ったものであるから、国家賠償法一条一項により、原告らに被らせた後記損害を賠償する責任がある。

7  損害

(一) 精神的損害

原告らは、被告の行為によって戦争への加担を強制させられた結果、平和的生存権及び納税者基本権を侵害され、また、日常生活の中において思想及び良心の自由を著しく侵害された。これらの侵害による精神的苦痛は計り知れないほど大きいが、その内金として原告一人につき各一万円を請求する。

(二) 財産的損害

被告は、九〇億ドルの戦費支出及び掃海部隊の派遣に伴う支出によって、原告一人につき各一万円を下らない財産的損害を被らせた。

8  違憲確認訴訟の適法性

(一) 請求の趣旨第1ないし第3項の各訴えは、請求の趣旨第4項のいわば前提となるものである。通常の不法行為訴訟であれば、紛争の解決のためには給付の命令を求めれば足り、前提となる過去の行為である不法行為を請求の趣旨で確認するまでもないのかも知れない。しかし、国家賠償請求訴訟、とりわけ本件のように国の違憲・違法な行為によって原告らの憲法上の基本権が侵害されたと正面から争う憲法訴訟的国家賠償においては、原告らにとって給付命令を得るだけでは不十分である。なぜなら、原告らは、違憲・合憲の判断を正面から求めて紛争を解決しようとしているのであり、給付命令の前提である違憲・違法行為による基本権の侵害の確認こそ、真に裁判所に求めているものだからである。

わが国においては、司法審査制の導入によって、人権規定における「法律の留保」は制度的に克服された。その反面で、司法審査制の前提となるべき訴訟要件、訴訟類型を巡る憲法訴訟論は不活発なままであった。その結果、憲法上の制度であるはずの司法審査制が、民事訴訟法等の実定各訴訟法の規定する訴訟要件、訴訟類型に適合した場合に初めて発動されるという本末転倒の状況が出現した。このような状況は、「訴訟法の留保」が残されている状況と指摘される。

この「訴訟法の留保」は、わが国の司法審査制度が付随的審査制であることから、従来は漠然と正当化されてきた。しかし、付随的審査制の要件である具体的事件・争訟性とは、あくまでも憲法上の要件論であるべきであり、憲法上の事件・争訟性の要件を実定各訴訟法の要件論のレベルに引き落として考えなければならない論理的必然性は、付随的審査制の下でも存しない。すなわち、実定訴訟法の要件、類型そのものも司法審査の対象とされなければならず(最高裁判所昭和三七年一一月二八日大法廷判決・刑集一一巻一六号一五九三頁参照)、また、実定訴訟法の要件、類型が不十分であったり欠けていてそのままでは適切な権利の救済ができない場合には、裁判所は新たな手続そのものを創造し救済しなければならない(最高裁判所昭和四三年一一月二七日大法廷判決・刑集二二巻一二号一四〇二頁、同昭和五一年四月一四日民集三〇巻三号二二三頁多数意見及び岸反対意見等参照)。

以上のように、裁判所が創造的救済をなし得る根拠としては、日本国憲法が違憲審査制を導入したこと(憲法八九条)、司法権(憲法七六条)とは権利の実効的個別的救済を図る権能を含むこと、裁判所に規則制定権があること(憲法七七条)、裁判を受ける権利(憲法三二条)は単に適法に出訴したときに裁判所による裁判を拒絶されないといった形式的な「訴訟の保障」を規定しているにとどまらず、憲法上の各実体的基本権全部に対してそれらの権利に対する「有効な権利保護の保障」まで規定したものと解釈することができることなどが挙げられる。

(二) 基本権確認訴訟の要件

一般的な主観的確認訴訟の要件を参照にして、一応、次の諸要件が憲法上の確認訴訟の訴訟要件であると考えられる。

(1) 当事者適格

自らの実体的基本権の防衛や回復といった裁判的救済を求める者のみが原告となる。

(2) 狭義の訴えの利益

① 基本権的事件・争訟性としての原告個人の基本権に対する具体的な侵害が必要である。

② 事件・争訟の成熟性としての侵害の現実性、漠然性が必要で、事件・争訟性が裁判的判断、解決に相応しい段階にあることが必要である。

③ そのような訴えの利益が消滅等せずに存続していることが必要である。

④ 確認訴訟を求める場合には、基本権の防衛、回復のために確認判決が一応の有効性を持つ場合であることが必要である。

(三) 本件における訴訟要件の具体的検討

(1) 当事者適格

原告らは、いずれも被告の行為によって自らの平和的生存権、納税者基本権及び思想良心の自由の侵害を受けたもので、その救済を求める原告適格を有することに問題はない。

(2) 訴えの利益

① 基本権的事件・争訟性

被告による基本権侵害は、日時あるいは支出先等の特定された具体的な侵害であり、憲法上の基本権の侵害を問題にすべき具体的事件・争訟性を備えている。

② 事件・争訟の成熟性

既に一般的な政策論議の段階を過ぎて具体的な行政的国家行為が成されており、裁判所による救済を求めうる段階に至っている。したがって、基本権侵害を問題とする当該事件・争訟の成熟性も備えている。

③ 訴えの利益の存続

本件政令は既に廃止されているが、廃止する政令は何ら遡及的なものではなく、既になされた侵害を回復するものでないことは明らかである。原告らが被った害悪は経済的にも精神的にもなお存続しているのであって、訴えの利益が消滅したとは到底言えない。

また、本件政令が悪しき先例となって、何らかの国際的地域紛争が起こる度に同様の政令が出されてまた廃止されるというような事態が繰り返される可能性は極めて高く、もしこれで訴えの利益が消滅するとすれば、「繰り返されうるが、審査は免れる。」という被告の潜脱行為を容認することになり、不当である。

④ 確認の有効性

本件において確認判決を求めることは、被告による憲法九条、自衛隊法一〇〇条の五の恣意的な解釈の違憲性、違法性を法令解釈の最終的有権的判断権者であるべき司法裁判所が明確に判断することを求めるものであり、今後、起こり得る更なる憲法の潜脱解釈の歯止めをかけるもので、原告らの基本権の救済に有効、適切である。

(四) なお、原告らは本件政令の文面上の違憲、法令違憲の確認等を求めてはいるが、抽象的違憲審査を求めているのではない。具体的審査制度において、判決主文で違憲確認がされたからと言って、とたんにそれが抽象的審査性になるものでもなく、主文に掲げられるということは、既判力が生じるが、当該具体的当事者間でのことであり、原告となってもいない国民一般との間に抽象的に既判力が生じるものではないからである。具体的事件において、判決主文で法令の文面上違憲ないし法令違憲の確認をするということは、憲法上も法律上も何ら禁止されているものではない。

9  よって、原告らは被告に対し、請求の趣旨記載の各違憲確認判決を求めるとともに、国家賠償法一条一項に基づき、原告らそれぞれに対し、各金二万円の支払を求める。

二  被告の本案前の主張

請求の趣旨第1項ないし第3項の訴えは、いずれも確認請求であるところ、現在の権利または法律関係に係る訴えではないから、確認の利益がないばかりか、確認訴訟における対象適格性そのものを欠くものであるから、いずれも不適法な訴えとして却下すべきである。すなわち、

1  請求の趣旨第1項の訴えの内容は、それ自体不明確なものといわざるを得ないが、仮に字句どおり解釈するならば、単なる過去の事実ないしは法律関係の確認を求めるものというほかない。

もっとも、過去の法律関係の確認ではあっても、それが原告らの権利または法律関係についての現在の危険ないし不安を除去するための直接かつ抜本的な紛争の解決手段として最も有効かつ適切と認められるような例外的場合には、過去の法律関係について確認の利益が認められることもあり得ないではないが、本件政令は、平成三年四月二三日に公布され即日施行された「湾岸危機に伴う避難民の輸送に関する暫定措置に関する政令を廃止する政令」(平成三年政令第一四六号)によって廃止され、既に将来にわたってその効力を失っているのであるから、本件政令の制定及び公布行為が違憲か否かを確認することが原告らの権利または法律関係についての現在の危険ないし不安を除去するための直接かつ抜本的な紛争の解決手段となり得るというようなことはおよそあり得ないのであって、現時点ではその意味での確認の利益(狭義の確認の利益)は存在しない。

また、仮に、右訴えを本件政令自体がその内容に照らし違憲であることの確認を求める趣旨のものであるとしても、右は抽象的に政令の違憲確認を求めるものに外ならないから、それ自体不適法であることは明らかである。

2  請求の趣旨第2項の訴えは、その文言自体に照らし、単なる過去の事実ないし法律関係の確認を求めるものというほかない。さらに、九〇億ドルの支出行為が違憲か否かを確認することが原告ら個々人の権利または法律関係についての現在の危険ないし不安を除去するための直接かつ抜本的な紛争の解決手段となり得るというようなこともおよそ考えられないので、現時点ではその意味での確認の利益(狭義の確認の利益)も存在しない。

3  請求の趣旨第3項の訴えは、その文言自体に照らし、単なる過去の事実ないし法律関係の確認を求めるものというほかない。

ちなみに、ペルシャ湾掃海艇派遣部隊は、平成三年四月二四日付「政府は、自衛隊法(昭和二九年法律第一六五号)九九条の規定に基づき、我が国船舶の航行の安全を確保するために、ペルシャ湾における機雷の除去及びその処理を行わせるため、海上自衛隊の掃海艇等をこの海域に派遣する。」との閣議決定を受け、所要の手続を経て実施されたものであるが、同部隊は、同年九月二三日、その任務を終了し、同年一〇月三〇日、帰国し、右帰国をもってその編成が解かれたものである。そうすると、右閣議決定は、同日をもってその効力が消滅したものというべきであって、ペルシャ湾への掃海艇等の派遣が違憲であるか否かを確認することが原告らの権利または法律関係についての現在の危険ないし不安を除去するための直接かつ抜本的な紛争の解決手段たり得ないことも明らかであって、現時点ではその意味での確認の利益(狭義の確認の利益)は存在しない。

三  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1は争う。

2  請求原因2(一)において原告が主張する九〇億ドル支出の経過については、左記に反する部分は争う。

すなわち、平成二年八月二日に始まったイラクによるクウェートへの侵攻及びその併合に対し、国連安全保障理事会は直ちにこれを「国際の平和と安全の破壊」であると認定し、クウェートからの即時無条件撤退等を求めるとともに、イラクに対し、経済制裁を課するなど累次にわたる諸決議を採択した。各国は、国連安保理決議に従い、イラクの一層の侵略を抑制するとともに、経済制裁の実効性を確保するために、湾岸地域とその周辺にいわゆる多国籍軍を展開した。

わが国としては、こうした国際的努力に対し積極的に貢献していく必要があるとの観点から、同年一二月までに、合計二五二九億円(約一九億ドル相当)を、わが国と湾岸アラブ諸国協力理事会との間の交換公文に基づき同理事会に設けられた湾岸平和基金に拠出し、関係各国に対する支援を行ってきた。

その後もイラクは、これら国連安保理決議を無視し続けたことから、平成三年一月一七日、関係諸国は国連安保理決議第六七人号に基づき武力の行使に踏み切り、その結果、クウェートは開放され、同年二月二八日に停戦が実現するに至った。

この武力行使という事態に際し、関係諸国はさらに大きな負担を余儀なくされることとなったが、政府は、内閣に「湾岸危機対策本部」を設置し、平成三年一月二四日に同対策本部において、わが国としてその国際的地位にふさわしい支援を、時期を失することなく至急行うという観点から湾岸平和基金に対し新たに九〇億ドルの追加支出を行うこととし、同年三月六日、国会で平成二年度補正予算(二号)及び追加支援に必要な財源確保のための法律案が成立したのを受け、同月一三日、湾岸平和基金への追加拠出金一兆一七〇〇億円(九〇億ドル相当。一ドル一三〇円換算)の払込みがなされたものである。

なお、湾岸アラブ諸国協力理事会とは、湾岸アラブ六か国が、昭和五六年五月、当時の湾岸地域情勢の激動を機に、政治、経済、文化等幅広い分野での協力関係を増進するとの目的の下に設立した国際機関であって、いわゆる多国籍軍とは直接の関連を有するものではない。

請求原因2(二)については、原告らの主張する本件政令の内容は概ね認める。本件政令は、「湾岸危機に伴う避難民の輸送に関する暫定措置に関する政令」が正しく、内閣は、本件政令を平成三年一月二五日、閣議において自衛隊法一〇〇条の五第一項に基づき決定し、これを同月二九日に公布、施行した。なお、本件政令が、既に将来にわたってその効力を失っていることは前記二1記載のとおりである。

請求原因2(三)については、ペルシャ湾掃海部隊を派遣した経過は、前記二3記載のとおりである。

3  請求原因3(一)は争う。

請求原因3(二)は争う。

請求原因3(三)は争う。

ペルシャ湾掃海派遣部隊は、湾岸危機の間にイラクにより敷設されたペルシャ湾内の多数の機雷がペルシャ湾岸におけるわが国の船舶の航行の重大な障害となり、とりわけペルシャ湾は世界の原油の主要な輸送経路の一つであり、この海域における船舶の安全確保に努めることは、国民生活、ひいては国の存立のために必要不可欠な原油の相当分をペルシャ湾からの輸入に依存するわが国の喫緊の課題であったことから、前記二3で述べたとおりの所要の手続を経て派遣されたものである。

なお、海上自衛隊の派遣部隊は、各国派遣部隊と協議した結果、全体の中で掃海作業が遅れている海域や、他国の掃海部隊がクウェートへの航路啓開が基本的に終了したとして帰国した後、なお残存する機雷の危険性が存在する海域について、必要に応じ協力して作業を実施したものであり、また、クウェート国領海内において同派遣部隊が当該海域に立ち入り、機雷の除去及び処理作業を行うについては、同国から、さらに、イラン・イスラム共和国及びイラク共和国の領海を含み得る海域において同派遣部隊が当該海域に立ち入り、機雷の除去及び処理作業を行うについては、右各関係国から、それぞれ事前に同意を得ていたものである。

4  請求原因4は、いずれも争う。

(一) 本件における自衛隊機等の海外派遣及び九〇億ドルの拠出決定は、それ自体では、原告ら個々人に対し、直接何らかの作為・不作為を強いるというものではなく、これによって権利侵害の状態が発生するなどということはおよそあり得ないことであり、この点で既に本件請求は主張自体失当と言うべきである。

(二) 原告らが被侵害利益ないし権利として主張する平和的生存権は、その概念そのものが抽象的かつ不明確であるばかりでなく、具体的な権利内容、根拠規定、主体、成立要件、法律効果等のどの点をとってみても一義性に欠け、その外延を画することさえできない極めて曖昧なものである。したがって、これをもって裁判上、救済の対象となし得べき現実的、個別的内容を持った権利であるとは到底認められず、これを私法上の権利保護の対象とすることができないことは明らかである。

(三) また、同じく原告らが被侵害利益ないし権利として主張する納税者基本権についても、平和的生存権について右に述べたことがそのまま妥当する。原告らは、納税者基本権は、憲法の財政条項(同法三〇条、八三条ないし九一条)をもって基礎づけられると主張するが、原告らが主張する憲法の右各条項は、いずれも原告らの主張するような納税者基本権なるものを規定したものではないことは明らかであるし、憲法秩序全体から考察してみても、現行法の解釈上、原告ら主張のような権利を導き出すことはできない。結局、原告らの主張するところは、自己の主観的利益に何らかかわりのない、国民一般ないしは納税者としての一般的な資格、地位をもって権利と唱えるものに外ならない。

(四) 原告らは、良心の自由を侵害されたと主張するが、原告らの主張する「良心」はその内容が極めて主観的かつ抽象的なものであって、法律上の権利として客観的に把握し得るような明確性を有しておらず、到底、権利保護の対象として承認され得るものではない。仮に、原告らが何らかの不快感情を抱いたとしても、そのような単に一部の者が共有する政治的な信念や倫理感といったものは、未だ社会的に承認された権利保護の対象となり得べき客観的利益であるとは言えない。

5  請求原因5は争う。

6  請求原因6(一)は争う。

請求原因6(二)も争う。

原告らが財産的損害に関して述べる請求原因6(二)の「支出」とは、予算の執行のことを言うものと一応善解されるが、原告らの被ったとする財産的損害の具体的内容が何ら明らかになっていないばかりか、原告らの主張する「支出」行為と「財産的損害」との間の因果関係の内容も明らかではない。

7  請求原因7は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  違憲確認請求(請求の趣旨第1項ないし第3項について)

1  原告らは、本件政令の制定公布、九〇億ドルの支出及び自衛隊掃海部隊の派遣(以下「本件政令の制定公布等」という。)が違憲であることの確認を求め、その根拠として、本件政令の制定公布等によって原告らの「平和的生存権」、「納税者基本権」及び「思想良心の自由」などの諸権利が侵害され、そのために原告らが被った精神的・財産的損害を慰謝、回復するための前提であり、給付命令を得るだけでは不十分だからであると主張する。

しかし、原告らは、右諸権利の侵害を理由とする国家賠償請求をも提起しており、右請求の当否を決める前提問題として、本件政令の制定公布等が違憲であるかどうかについても審理、判断されるのであるから、あらためて右国家賠償請求とは別個に本件政令の制定公布等の違憲確認判決を求める利益はないものといわなければならない。もっとも、基本となる権利または法律関係から派生する可能性のある他の諸紛争を予防するという確認訴訟の本来の機能が期待できるような場合には、給付判決とは別に基本となる権利又は法律関係自体の確認を求める利益があるものと解されるが、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、本件政令の制定公布等を原因として、そこから本件以外に他のどのような諸紛争が派生する可能性があるかについては、これを確定することができず、本件においては、確認判決を求める利益がないものというほかない。

また、民事訴訟は、現在の法律上の紛争の解決・調整を図るものであるから、過去の事実または法律関係の確認は、即時確定の利益を欠くもので、原則として許されないものと解されるところ、本件違憲確認請求は、本件政令の制定公布等の違憲確認を求めるものであるから、過去の事実または法律関係の確認を求めるものというほかなく、したがって、この点からしても、確認の利益を欠くものといわなければならない。もっとも、過去の事実または法律関係の確認ではあっても、それが現に存する紛争の直接かつ抜本的な解決のために最も有効かつ適切と認められるような場合には、確認の利益が認められるものと解されるが、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、本件政令の制定公布等の違憲確認が、原告らが被ったと主張する精神的・財産的損害を慰謝、回復するための最も有効かつ適切な紛争解決手段とは認められない。

なお、弁論の全趣旨によれば、原告らは現実的・具体的に生じた紛争の司法的解決のためというよりも、国民の一人として、自らの政治的信条を貫くために、本件政令の制定公布等そのものの違憲確認を求め、もって、わが国の外交・防衛政策の是正を求めようとしていることが認められるが、そのことの故に直ちに確認の利益があるものともいえず、結局のところ、原告らの本件違憲確認請求は、事件・争訟性を欠くものであって、本件政令の制定公布等についての抽象的な違憲審査を求めるものというほかなく、確認の利益があるとはいえない。

もっとも、当該裁判所は、わが国の政策が適法に行われることにつき、原告らが国民の一人として何らかの一般的な利害関係を持つことまでも否定するものではない。しかし、これを理由として国民が国民としての資格で国策の是正を求めんとする形態の訴訟は、民衆訴訟として特に法律により裁判所にその出訴が認められているものに限られると解するのが相当であり、本件違憲確認請求のような出訴形態を認めた法律の規定は存在しないから、許されないものといわなければならない。

2  ところで、原告らは、本件違憲確認請求を主観訴訟としてのいわゆる基本権確認訴訟であると称し、裁判所は既存の訴訟法の枠にとらわれることなく、憲法で認められた基本権の創造的救済を図らなければならないとも主張する。

確かに、実定訴訟法は憲法の下位規範であり、また、国民の重要な基本的権利が侵害されているにもかかわらず、その救済手段が実定法上定められていない場合には、裁判所としても何らかの救済手段を考えるべきであると解する余地があり、原告らの右主張は理論的には肯首し得ないわけではない。

しかし、だからといって、判決主文において本件政令の制定公布等が違憲であることを宣言しなければ、原告らの救済、すなわち、原告らの主張する前記損害の慰謝、回復が不可能であるとまでは認められないから、原告らの右主張は採用することができない。

なお、原告らは、基本権確認訴訟も主観訴訟である以上、その要件の一つとして、基本権的事件・争訟性、すなわち、憲法上の基本権に対する具体的な侵害が必要であると主張しているところ、後記のとおり、本件においては、「憲法上の基本権」に対する「具体的な侵害」があったとは到底認められないから、本件違憲確認請求を原告らの主張に係る基本権確認訴訟として見たとしても、その適法要件を満たしているということはできない。

3  よって、本件違憲確認請求に係る訴えは、いずれも不適法なものとして却下すべきである。

二  国家賠償請求(請求の趣旨第4項)について

1  本件政令が制定・公布されたこと、湾岸平和基金に対して九〇億ドルの支出が行われたこと、自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣され、機雷除去等の掃海作業を行ったことについては当事者間に争いがない。

2  本件政令の制定公布等の違憲性について

(一)  わが国は、独立国であって他のいかなる主権主体に従属するものではないから、固有の自衛権を有するものであり、憲法九条もこのことを否定するものではないと解される。したがって、見解の対立はあるものの、憲法九条第一項は、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇または武力の行使、すなわち、侵略のための戦争、武力による威嚇または武力の行使を放棄したものであって、わが国が外部からの不法な侵害に対し、自国を防衛するため実力をもってこれを阻止し排除する機能をも放棄したものとは解されず、また、そのため憲法九条第二項は、侵略戦争を遂行するための軍備ないし戦力、すなわち、侵略を企図し、その準備行為であると客観的に認められる実体を有する軍備ないし戦力の保持を禁じたものであることは明らかではあっても、自衛権行使のために有効適切な防衛措置を予め組織・編成・整備することまでも禁じているとはにわかに解し難いところである。

(二)  そこで、本件政令の制定公布等について検討する。

(1) 本件政令の制定公布は、自衛隊法一〇〇条の五第一項の規定に基づき、自衛隊機を湾岸戦争によって生じた避難民の輸送のために使用することを可能にするためになされたものと認められる。

もっとも、本件政令は、自衛隊法一〇〇条の五第一項に基づく委任命令であるところ、同法の同条項及び同法施行令一二六条の一六の文言や立法趣旨に照らすと、同法の同条項はいわゆる要人輸送を定めたものと見ることもでき、原告らが主張するように、本件政令が同法同条項の委任の範囲内であるかどうかについて若干の疑問がないわけではない。しかし、そうであるとしても、憲法九条が禁止しているのは、武力による威嚇または武力の行使であるが、避難民輸送は何ら武力行使を目的としたものではなく、人道的見地から行われるものであることからすれば、避難民輸送を行うために自衛隊機が海外に派遣される結果になったとしても、これをもって直ちに憲法九条に違反するとまで断ずることはできないし、また、憲法四一条に違反するとまではいえない。これに反する原告らの主張は採用できない。

(2) 次に、証拠(証人浅井基文)及び弁論の全趣旨によれば、湾岸戦争の際の本件九〇億ドルの支出は、アメリカ軍を中心とする多国籍軍に対する財政支援であると認められる。

ところで、憲法九条は、わが国が国際紛争を解決する手段として武力による威嚇や武力の行使を禁止しているが、しかし、多国籍軍に対する財政支援自体は武力による威嚇でもなければ武力の行使にも当たらないと解される。また、右証拠及び弁論の全趣旨によれば、湾岸戦争における多国籍軍の行動は、国連安保理決議六七八号等に基づくものであり、イラクの侵略行為を排除し国際社会の平和と安全を確立するための行動であること、国連安保理決議六六五号や六七八号は国連加盟国の支援を要請しており、わが国としても、各国の国際的努力に対し積極的に貢献していく必要があることからこれに応じたものであることも認められる。このようなことからすると、国際平和と安全とを維持するため、わが国のような国連加盟国がそれぞれ応分の負担をすることはやむを得ないことであるとも考えられ、本件九〇億ドルの支出が憲法九条に違反するとまで断定することは困難である。これに反する原告らの主張は採用することができない。

(3) 次に、証拠(甲六六、証人浅井基文)及び弁論の全趣旨によれば、自衛隊掃海部隊の派遣は、国連安保理の停戦決議をイラクが受諾した後になされたもので、その時点では既に戦闘行動は終了していたことが認められる。したがって、自衛隊掃海部隊の派遣は、イラクによって遺棄された機雷の除去・処理、すなわち、危険物の除去・処理を目的とするものであって、武力の行使を目的とするものではなく、また、それは、戦闘行為の終了後のことであった。

自衛隊の掃海艇が海外に派遣されたとしても、自衛隊法九九条は、「海上自衛隊は、長官の命を受け、海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行うものとする。」と明確に規定しているところであるし、武力による威嚇や武力の行使を目的としていないことも明らかであるから、これをもって直ちに憲法九条に違反するとまで断定することはできず、これに反する原告らの主張はすべて採用することができない。

3  各法的利益の侵害の有無

(一)  平和的生存権の侵害

原告らは、本件政令の制定公布等によって、原告らの「平和的生存権」、すなわち、日本の市民が戦争やその危険性がない平和な状態で生きることを国家に対して求める権利が侵害されたと主張する。

確かに、憲法前文の規定する「平和のうちに生存する権利」は、あらゆる基本的人権の根底に存在する最も基礎的な権利であると解される。

しかし、本来、憲法前文は、憲法の基本的精神や理念を表明したものであって、そこに表明されたところは、本文各条項を解釈する指針となり、また、その解釈を通じて本文各条項の具体的な権利の内容となり得ることがあるとしても、それ自体が具体的権利ないし裁判規範として、国政を拘束したり、国民がそれに基づき、国に対して一定の裁判上の請求をなし得るというものではない。ことに、「平和のうちに生存する権利」という場合の「平和」とは、理念ないし目的としての抽象的概念であって、それを実現する手段、方法も、変転する複雑な国際政治情勢に応じて多岐、多様にわたり、明確に特定することはできないのであるから、直接憲法前文からその具体的な意味・内容を引き出すことはできない。また、「平和のうちに生存する権利」が憲法一三条によって保障されていると解するとしても、憲法一三条からその具体的な意味・内容を直接に引き出すこともできない。

このように、「平和のうちに生存する権利」は、具体的権利ないし裁判規範であるとは認められないから、右の「平和のうちに生存する権利」をもって、個々の国民が国に対して具体的措置を請求し得るそれ自体独立の権利であるということはできない。

(二)  納税者基本権の侵害

原告らは、本件政令の制定公布等によって、原告らの「納税者基本権」、すなわち、納税者が国に対し、憲法に適合するところに従って租税を徴収し、使用することを国に要求する権利が侵害されたと主張する。

ところで、憲法は、八三条において国会中心財政の基本原則を定め、八四条で租税法律主義を規定して右基本原則を収入面に具体化し、八五条で国費の支出に関する国会の統制権を認めることにより右基本原則を支出面に具体化しており、また、三〇条が国民は法律の定めるところにより納税の義務を負うと規定するのは、法律の根拠に基づくことなしには租税を賦課、徴収されないということを意味するものであり、その意味で財政立憲主義の一面を明らかにしたものに他ならない。これらの財政に関する憲法の諸規定を前提とすると、原告らが主張するとおり、国の財政、すなわち、国民に対する課税及び国費の支出はともに憲法に適合していなければならないということがいえるが、そこから、何故に、個々の納税者に「納税者基本権」、すなわち、憲法に適合するところに従って租税を徴収し、使用することを国に要求する権利が認められることになるのかは明らかでない。むしろ、憲法においては、具体的な国費の支出について、全国民の代表機関である国会の審議等を通じて決せられるべきであるとの立場が取られているのであるから、個々の国民は、選挙権の行使ないしはその他の政治活動を通じて個々の国費支出のあり方について関与していくべきものと解される。なお、右の国民による間接民主主義的な統制を超えて、個々の国民が一般的に裁判所を通じて国費支出のあり方の是正を要求する権利が認められるかどうかは、わが国の国情に応じた立法政策の問題であると解されるところ、現時点では、そのような権利を国民に認めた法律の規定は何ら存在しない。

右の点に関し、原告らは、国民の国に対する憲法上の権利について信託法上の法理を類推し、国民は、信託法上委託者ないし受益者が有する権利に類する権利を国に対して有するとも主張する。確かに、憲法前文には「信託」の文言が用いられてはいるが、これは国民が国政のあり方を最終的に決定する主権者であることを比喩的に表現したものにすぎず、これをもって信託法の規定を直截に類推する根拠とすることは困難であり、結局、国民と国との間に信託法上の法理を類推することは、解釈論として採ることができないというほかはない。

以上のとおり、原告らの主張する「納税者基本権」なるものは、何らかの具体的な実定法規なくして裁判上の請求を根拠付けるものとはいえず、また、不法行為法上あるいは国家賠償法上保護されるべき法律上の利益であると認めることもできない。

なお、証人棟居快行は、「納税者基本権」を広義の「納税者基本権」、すなわち、合憲適法な財政運営がなされることに対して国民一般及び納税者が有する権利と、狭義の「納税者基本権」、すなわち、自己の思想良心の自由に反して税金を使われない権利とに区別し、狭義のそれは思想良心の自由と同じく裁判上の保護を受けなければならない旨証言しているが、いわゆる「納税者基本権」をこのように二つの側面に区別しなければならない根拠は明らかでなく、また、狭義の「納税者基本権」とは具体的に何を意味するのかについても必ずしも明らかではなく、むしろ、証人棟居快行自身も半ば認めているように、思想良心の自由そのものと解する余地があり、右見解は当裁判所の採用するところではない。

(三)  思想良心の自由の侵害

原告らは、本件政令の制定公布等によって、原告らの思想良心の自由が侵害されたとも主張する。

確かに、証拠(甲一二ないし二七、三六ないし六四、原告足立修行本人、同井上清本人、同古川佳子本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告らは、戦争体験、生活経験、信仰等を通じて平和主義ないし反戦思想を自己の世界観ないし信仰の内実として形成し、本件政令の制定公布等により、多かれ少なかれ右世界観ないし信仰に根ざす感情を傷つけられ、本件政令の制定公布等を座視することができない心情にあることが認められる。

しかしながら、本件政令の制定公布等が憲法九条等に違反するとにわかに断じ得ないことは前判示のとおりである。また、本件政令の制定公布等それ自体は、原告らの各人に対し、何らかの作為または不作為を強いるというものではなく、直接に、原告らの思想良心に何らかの制約を及ぼすというものでもない。そして、原告らが加害行為と主張する本件政令の制定公布等の右のような性質、態様に照らすと、被侵害利益である思想良心の自由が憲法上重要な基本的人権であることを考慮しても、なお、これをもって直ちに原告らの思想良心の自由に対する具体的な侵害があったとまではこれを認めることができない。

なお、証人棟居快行は、自己の人格の中心部分の最上位の行為規範という意味での世界観ないし信仰は、民主主義の政治過程における多数決原理で敗れた少数意見とは異なるのであるから、その救済のためには裁判上の保護を受ける必要があるなどと証言している。しかし、自己の人格の中心部分の最上位の行為規範という意味での世界観ないし信仰と民主主義の政治過程における多数決原理で敗れた少数意見とを区別することは実際上困難である上に、たとえ原告らが自己の人格の中心部分の最上位の行為規範という意味での世界観ないし信仰に基づいて本件訴えを提起しているとしても、これに対して、被告が慰謝料の支払をもって報いなければならない理由がないことは、前記説示のとおりである。

4  以上の次第で、本件国家賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。

三  よって、本件違憲確認請求(請求の趣旨第1項ないし第3項)に係る訴えは、いずれも不適法であるから却下することとし、本件国家賠償請求(請求の趣旨第4項)は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大谷種臣 裁判官上原裕之 裁判官次田和明)

別紙原告目録<省略>

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